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時は、江戸時代、天明四年(1784年)の早春、北九州、博多湾の志賀島(しがのしま)叶(かの)の崎でのお話・・・
・百姓甚兵衛が田んぼの用水路を修理しておったところ・・・
な、なんと大きな石の板が出てきたではないかいな・・・
「よっこらしょ」石板を持ち上げると・・・ |
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その下に、三つの石で囲まれた中に光るものがあるではないかいな!
「き、金じゃ!おったまげただ、すぐに庄屋様に知らせねばなるめい・・・」
甚兵衛は兄喜兵衛と庄屋に届け出たところ・・すぐさま藩主の元へ!
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学者に調べさせたところ印面は、2.3センチ角で重さ108gの金印とわかった。
中国の後漢書によると、弥生時代当時の日本は委(わ)と呼ばれ、その奴(な)の国の王が使者を使わせ貢ぎ物を奉じた事に対し、光武帝が印綬を以て答えたと記されています。 |
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残念ながら、この時代にはまだ日本に文字や印章が無く、この後、雄略天皇三年(459年)大連(おおむらじ)職を定めた際に「大連の印」が作られ、これが日本産最古の印章とされています。 |